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2004年8月21日(土)

  • 2004年8月24日(火) 午前3時21分21秒

白寿を祝う会1日目

長い長い土曜日。文章は過去最長だ。この日は鳥羽で、僕のひいおばあさんの白寿を祝う会の日。もう30になった僕だが、今まだ曾祖母が健在だという人は少ないと思う。父方の祖父母は僕が生まれる前から既になく、母方の方も祖母は8年前に亡くなった。その祖母の3回忌だったと思うが、それの宴会でひいおばあさんの隣の席になった。その時ちょっとだけ話をしたのだ。100歳の記念の会をやりましょうと。ついにそのときがやってきたのだな。といっても数えで100歳だけど。
 余裕を持って朝9時過ぎに部屋を出て叡電〜京阪、丹波橋から近鉄の伊勢志摩ライナーに乗った。最近特急も削減されたりして京都から伊勢までの直通で、かつ伊勢志摩ライナーを使うのは少なくなった。以前も乗ったことがあるけどデラックスシートは初めて。いすもなかなかいい感じ。夏休みの土曜日の午前中発の伊勢行きだったので結構乗っていた。それも家族連ればっかりだ。これが本来の伊勢志摩ライナーの使われ方だよな。八木の京都線から大阪線への短絡線は久しぶりに通った。そして八木。おお。隣にいるのはアーバンライナーplusだ。その向こうに大阪行きのビスタカーが。代表的な特急が3者そろい踏みという感じ。しかもビスタカーは重連だった!初めて見たよ。こりゃすごい。などなど道中を楽しみつつ鳥羽へ。車内はうるさかったけど、そういうものだな。ああ今は京都伊勢特急も名張に停まるのね。
 鳥羽には12時半くらいに到着。最初の予定ではこの時間に合わせて両親&弟と合流予定だったが、いろいろあって適当に時間をつぶすことになった。まず荷物を預けないと動けないということで駅をうろうろ。なんと今回はギターを持っていたのだ。さかのぼること3日、電話で母が「なんか芸しないとあかんから、ギターでも持っていけば?」と。おいおいどうすりゃいいのだ・・。というかほんとにやるのかよ〜と思って前日に話したらやっぱり本当だと。芸をするといっても、何もしなけりゃ何もしないで済むのだろうが、ギターで歌うのなら何とかなるような気がしたしやることに決めた。しかし準備期間が無い上に、もしその親戚一同の前で歌うとなると、対象年齢が下は幼稚園から上は100歳までまんべんなくいるというどうにも選曲できない感じだ。どうしようもないのでここは「しあわせの涙」でいくかと(笑)これなら曲の内容的にも1番2番だけやることにすれば問題ないだろうし、歌詞も覚えてるし。と、ここまで決めてあとは何も考えずにギターを持ってきたのだった。
 結局ギターの入るコインロッカーは鳥羽では見つからず(丹波橋で見たことがあるのだが)ギター以外の荷物を預けて出発。行き先は夫婦岩〜。他に行く所を思いつかなかったし、小学校の修学旅行以来だしいいかなと。バスに乗って15分くらいで到着。二見シーパラダイスの前でトドを見た後、売店の建物の中を抜けて夫婦岩へ。確かに来たことがあるはずなのにあまり覚えていないな。ギターを持ったまま一通り観光した後鳥羽へ戻る。そこで両親と合流して祝う会の会場の旅館へ。というかホテルか。でか。鳥羽駅の目と鼻の先じゃないかー。気づかなかった・・。
 ホテルに入って驚いた。おいおい、専用の受付があるよ。ちょっとした机に名簿があったりして。とそこまで行くまでに親戚の人と次々に会うのだが、誰が誰やら。もちろん知っている人もいるけども。部屋で少し休憩した後、広い場所で今回出席した人全員で記念撮影。こんなにいるのかよー。全部で36人いたらしい。この時点ではまだ顔と名前と関係が一致していなかったので、誰かわからずしゃべったり。名札が欲しいと思った。ちびっ子もたくさんいたが、それこそ誰が誰やら。しかし僕と同じひ孫の立場だというのはわかった。
 部屋に戻って先に風呂に入った後、宴会スタート〜。宴会場で一番上座の屏風の前に5人座り真ん中がひいおばあさん。おそらく正座はきついので、いすに喜寿のお祝いの座布団を敷いた席。横には今回主催者のおっちゃんなどなど。というかそのおっちゃんが今回すべての費用をもっていて、僕ら出席者は招待なんだよな。すげえ。その他の人は普通の会社の忘年会みたいにずらーっと壁際に並んだ。よくあるそういう席の配置の忘年会とか社員旅行とかは縁がないので、すごいおもしろいな。主催者の挨拶のあと、じいちゃんの乾杯の音頭で乾杯。そしてしばらく普通に宴会。料理は量が多すぎてもう必死。お酒も。しかしここで酔っぱらう訳にはいかない。しばらくしてちびっ子以外の全員が順番にマイクをもって、おばあさんにおめでとうの言葉と自己紹介。そうかーあの人があの人の息子であの人の兄なのか〜とか、そればっかり。やっと人間関係を把握できた。今回の宴会の一番の収穫だった。
 そしてその後一芸の時間。きたよー。ついに。司会役のおじさんにひ孫筆頭の彼がどうこうと紹介されてから前へ。ぐは。すごい注目されてるよ。ずんずん前に出てひいおばあさんの真ん前で歌うことになった。その他大勢の人は後ろ姿でごめんなさい。とりあえずマイクでもう一度おめでとうの挨拶をした後、いちおうさらっとやる曲を紹介した。マイクはこの宴会のセッティングをしてくれた人が持ってくれた。人力マイクスタンドだ。手拍子をお願いしますと言った後にすたーと〜。しあわせのなみだよ降り続け〜〜〜と。いやー緊張した。しかしすごいうけた。大成功〜〜!!。僕のことを(誰の息子なのか)ほとんどの人が知っていたが、僕がどんな奴かは知らない人の方が多かったので、後で考えてみるとこれで一発でわかってもらえた感じ。歌ってよかったよ。その後いとこの彼がウサギのかぶり物をして空手の組み手をしてみせたり。かっこいいぞ(笑)その後はカラオケなどなど。芸らしい芸をやったのは二人だけじゃないかよーー!ま、いいか。成功したし。空手をやった彼は、その後ちびっ子たちに大人気。同じひ孫だしな。どこかに相当近い同じ血が流れてるはずなので、親しみやすいのかもしれん。
 宴会の最後の方には大x10本&小x9本のろうそくを立てたケーキが。入れ歯が飛びそうだと言いつつひいおばあさんが吹き消した。ぱちぱちー。そうこうして宴会も終了。ほとんどみんなが宴会場を出た後、ばあちゃんの前でもう1曲ギターで歌った。なんとなくそんな雰囲気だったので。こっちは「祝福と涙」。どっちの曲もHUMMING BIRDだが。
 その後カラオケボックスでカラオケをちょっと。ぼったくりだった・・・。そして飲み過ぎ。その後弟といとことずーっとしゃべったり。それで一日目は終了。長い一日だった。

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