はらえもんは日本に5人いるようだ。 > どこでもドアへようこそ > 2002年9月29日(日)

2002年9月29日(日)

  • 2004年7月21日(水) 午前2時38分45秒

9月23日発〜27日着。

寝台特急日本海
 ちょっと早めに京都駅について夕飯を食べて寝台特急に。この日本海は函館行きだけど早朝の秋田で降りるのだ。そういえば初めて乗った寝台列車がこれだった。あれから何年ぶりなのか・・。あのときはこれで函館まで行ったんだよな。相棒もいたし下段だった。今回は混んでたので上段しかなかった。いや〜やっぱりいいねー。いつもの京都駅から乗るといきなり世間と離れた感じがした。そして起きたら違う場所にいるっていうのは夜行でしか体験できないし。でもあんまり眠れなかった。途中で降りなきゃと思ってたからかな。

秋田新幹線こまち
 秋田で乗り換え。朝一番の東京行き。ビジネスマンのおっさんばっかりだった。新幹線というより飛行機に近いイメージだな。こまちってあんな山の中を走ってるんだな。奥羽本線の区間は在来線とは思えないほどのスピードだったけど(後ろ向きに走る)、さすがに山の中の田沢湖線はきついか。それでも単線でカーブもきついのにあのスピードはりっぱだ。新幹線をだてに名乗ってるわけじゃないな。秋田の改札で自動改札に切符を2枚重ねて入れた。これは新幹線では普通のことだけど、車内で車掌が検札に来たとき切符を見せようとしたら「わかってますよ〜」とか言われておどろいた。指定席だったのだが、そういう情報が自動改札から送られてるのだな。

急行陸中などなど
 盛岡で少し間があって急行陸中に乗り換え。ここからゾーン切符。通勤列車の折り返しが急行になるんだけど、その列車はものすごい混雑だった。ですぐに乗り込んでも息苦しいので間をおいてから乗り込む。花巻まで後ろ向きだった。花巻から釜石線に入っていくのだ。車内は空いていた。そりゃ平日のそんな時間に人あんまり乗ってないよね。とりあえずあてはなかったけど遠野で降りてみた。遠野は観光地だったけど、列車で来てるし2時間くらいしか時間はなかったので一番見晴らしの良さそうなところに登ってみた。その後ぶらぶら歩いてみた後駅でぼーっとしてみたり。観光するところはいっぱいあるけどあちこち点在してるんだよね。

 遠野から普通列車で釜石〜宮古まで。陸中と外見はほとんど一緒だが、車内は固定クロス。陸中は回転クロス?だったかな。この盛岡から乗った急行陸中以降、新型車は自動ドアは自動じゃなかった。ボタンを押してドアが開く。寒いからだな。風景も東北なので瓦屋根の家はほとんどない。瓦屋根の家はほぼ例外なく巨大な豪邸だった。でかいよ。普通の家はつるっとした屋根。雪が深いからか・・。
 釜石で40分くらい停車時間があったので一度外に出た。その後同じ列車で宮古へ。また向きが逆だった。ここまではずっと内陸だったけどここからは海沿いで景色もきれいだった。眠くて途中で意識がない区間もあったけど。

 宮古ですぐに乗り換え。キハ52一両だけの岩泉行き。今回の旅行の一番のメインだ。なんといっても終点まで行く列車が一日3本しかない。途中まで行くのも1本しかないけど。乗ってる人を見渡すと、おっちゃんおばちゃんばかりだ。20人もいなかった。だが途中の茂市で盛岡からの列車から乗り換えてきたのはまぎれもなくてっちゃん二人組だった。やっぱり乗ってみたいよね〜〜。一日三本だと接続の難易度は高いし、彼らのルートか僕のルートしかないのだ。しかしまあその分岐駅の茂市も去年行った猪谷よりも山の中だった・・・
 岩泉線はすごかった、まずあんなところにどうして線路があるのか疑うね。最初と最後以外ものすごい山の中だ。並行して走る道路が未整備だから残ってるという話だけど、平行してる道路って・・山の中の区間は車がすれ違うのがやっとという感じ。この道路に沿って線路がある方がおかしい。しかもその山の中に唐突に駅があるし。駅までの道路すらないという・・・。終点まで乗ったのは5人ほどだった。
 終点の岩泉は寂れていた。そりゃ当たり前か。まあまあ大きい駅舎だけど朝一本夕方二本しか列車が来ないってすごい。で、僕とてっちゃん二人組はあちこちで写真を撮りまくっていた(笑)折り返しの列車が鉄な3人だけだったら嫌だな〜と思ってたけど、どこからか10人くらい高校生が集まってきてほっとした。だが高校生は駅二つで全員降りて、迎えに来ていた車で去っていったのでやはり鉄3人のみ・・・。茂市近くでおっさんとおばちゃんが乗ってきたけど。僕らがいなかったらこの列車は往復とも大部分の区間は無人なのだな。鉄道ファンのために残してるわけじゃあるまいし。車両も趣味的にひかれる古いヤツだし。ところで、行きの列車でとなりのボックスに座ったおばちゃんといっしょの中学生?は親子で鉄道ファンなのか、中学生の方は写真を撮りまくっていた。ところがそのおばちゃんはいきなり途中で降りちゃった。関係ないのかよ〜〜。不思議だ・・

 茂市から盛岡まではすでに真っ暗だったので半分は寝ていた。どうせ同じ道を次の日も乗るので。この線も全線通しは一日4本のみで、盛岡に夜9時前に着くのが最終なのだ。完全に鉄道が忘れられているな。盛岡で泊まる。

山田線快速リアス〜三陸鉄道〜

 その一日4往復の全線通し列車のうちの1本に乗る。キハ58ー58。4本のうち2本は快速なので、この線の半数の駅は一日に止まる列車が2本しかないのだな。盛岡から20分のところですでにそんな感じだ。山田線はあってもなくてもいいのかも。快速リアスの午前中の列車に乗ったが、2両で一つのボックスに1〜2人くらいか。観光の人が多かった。発車して最初2駅は街中だったが、それを過ぎるといきなり険しい山道になった。なんという極端な。後はそのままずっと山の中でずっと上り。そして分水嶺にあたるところにある区界という駅からは下り。途中の駅も、駅があるからといってまわりに何かあるというわけではない。人も住んでないところが多いな。盛岡から宮古まで平行してる道路を結構な頻度で特急バスが走ってるのでみんなそっちに乗るみたい。前日の岩泉線と合流してちょっと行って宮古へ。

 宮古からは三陸鉄道の北リアス線に乗り換え。3分しかなかったので走った。乗り換えた列車は普通列車なのにサーモンとか言う名前が付いていた。それもそのはず一日一往復のレトロ気動車だったのだ。なんちゅうけばい内装なんだ・・・。たしか何年か前にあった横浜の博覧会で走った車両が三陸に来たんだっけ。この列車にテスト期間らしい高校生とかが乗ってたりするのですごいおかしい。ボックス席の間に喫茶店みたいな小さい机があるし。これで宮古から久慈まで。
 北リアス線は7割方トンネルだった。トンネルばっかり。これは知っていたのでそんなもんかという感じだっが、盛岡から一緒だったらしいおばちゃん3人組はがっかりしていた。まあ全く海が見えないわけでもなかったけど、あれではがっかりするよな。

 久慈でまたまたすぐ乗り換え。乗り換えたあとおばちゃん軍団とおしゃべりなど。そんなことまで聞くなよ〜〜ってかんじか。乗り換えた列車はキハ40台3両で最初はがらがらだった。今度は海もよく見えたし良かった。太平洋はすごい波が荒かった。確か沖に台風が来てたか。がらがらだった列車も鮫からは高校生でいっぱいになった。単線でディーゼルしか来ないのに高架の本八戸でだいぶ降りて、あとはみんな終点の八戸へ。ここでおばちゃんたちとお別れ。八戸ではもう新幹線のホームは完成していた。照明もついてたしいつ新幹線が走ってきてもおかしくなかったね。

 八戸から東北本線で三沢へ。今回初めて701に乗った。三沢で降りて十和田観光電鉄へ乗り換え。こんなところに私鉄があるのだな、こっちの三沢の駅はぼろぼろだった。車両はこの10月までで置き換えが決まっている元東急の旧型車。こりゃすごい。旧型にもほどがあるよな。こんなのに乗ったら鉄道ファンは大喜びだな。車内は三沢から十和田市まで中高生だらけだった。風景もなんだかさびしい感じ。すごく北にいるのを意識した。電車はあんまりスピードを出さずに十和田市へ。というか駅が結構多くてスピード出す暇ないな。十和田市の駅は階段を上って改札を出るといきなりスーパーの中という感じ。以前はもうちょっとさきまで走ってたはずだけど。線路がさきにのびているのは見えたし。帰りも学生だらけ。朝夕は乗るかもしれないけど、昼間は乗る人いないだろうな。

 三沢に戻って今度は特急はつかりで盛岡に戻る。八戸と盛岡の間は特急はなくなるから乗れて良かった。真っ暗で外は見えなかったけど。乗った車両はリニューアル485。普通の485と同じとは思えないな。反対側に乗ったおっさんたちが酒飲んでうるさかった。特急の中で水割り作るなよ〜〜。盛岡で同じところに泊まる。

盛岡〜仙台〜東京

 今回の切符帰りのルートは仙台までは新幹線の常磐線まわりにした。だが仙台発は結構遅めでいいので途中で温泉に行くことにした。あれこれ考えたけど花巻温泉のほうに行くことに決めて、おととい乗った急行陸中で花巻へ。花巻もいろいろ見るところはあるけど、今回は温泉のみ。観光案内所で日帰り温泉はどこがいいか聞いてみた。で教えられたとおりに大沢温泉に。なんでもでかい露天風呂があるらしい。いいかも、と思いつつバスで向かう。そして着いたのだが残念ながらこの日は露天風呂は掃除の日だった・・・。しかたなく窓のない半露天風呂に。こっちはすぐ目の前を川が流れていて、これはこれで良かった。その後とって返して花巻へ。新花巻から新幹線に乗れるが、新花巻まで行くバスも列車もすぐなかったので北上へ向かう。701系だ。今回東北を何日もうろうろしたのに701に乗ったのは八戸〜三沢と花巻〜北上だけ。あわせても1時間もない。電化区間の普通列車はこればっかりなのにこんなに避けることが出来たとはね。北上から東北新幹線に。

 乗ったやまびこはE4系だった。どれが来ても初めてだったけど。E4系の顔は圧倒的なボリューム感があった。近くで見ると顔がほんとでかい。500系もインパクトあったけどそれ以上だ。車両はすべて2階建てだし。1階だとたぶん外は防音壁しか見えないだろうな。自由席の2階でなんとか窓側を見つけて座れた。シートは狭かったけど許容範囲か。3列-3列だし。2階は景色はよく見えた。仙台へ。

 仙台で少しうろうろしてから常磐線の特急スーパーひたちに乗る。仙台から出てるのは少ない。乗る人も少なかったけど。ここもこまちと同じで単線でけっこうスピードを出す。いわきを過ぎたあたりから複線にもなってるので130キロ出しっぱなし。こりゃ速い。スーパーってうのにふさわしいかも。いわきまでは客も少なかったけど、水戸を出てからは座席は満員だった。仙台から4時間あまりかかかって上野着。盛岡から東京に来ると、人の多さにびっくりする。何でこんな人がいるのかと思うね。それほど人気のない列車に乗ってたということかも。
 一度東京駅まで行ってご飯を食べた後、ムーンライトながらの指定席をとる。そして駅前銭湯情報にしたがってもう一度上野へ。駅から少し歩いたところの銭湯でさっぱりした。その後東京駅に戻る。夜遅くにあまりしらない東京駅ではする事もないのでホームでぼーっとしてみたり。

 ムーンライトながらは12時ちょっと前に発車。これに乗るのはあのハミングの解散ライブ以来だな。あのときもあんまり眠れなかったけど、やはり今回も眠れなかった。何でかな〜。一宮も通ったけど今回は寄らずにまっすぐ京都に向かった。大垣と米原でいつものように乗り換え。米原からの新快速は京都に着く頃には満員だった。この数日乗った列車とは大違いだな。京都〜東福寺〜出町柳〜修学院で帰宅。疲れた。

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