2000年11月10日(金)
- (2012年12月2日(日) 20時39分16秒 更新)
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想い出の記 我が家の宿命
私はいつも、兄の後をついて回っていて、兄も、それを許してきていた。寝屋川の住宅の前にある駐車場に、車から吸殻が、ごっそりと捨ててあったのを一緒に見ていたり、普段は池になっている広場で、凧揚げをしたり、いっしょにあさのたいそうにいったり。他にもいろいろと想い出は残っている。
そう、それは、朝の体操に一緒にいった時だった(と思う)。一緒に帰ろうとするところを、離れたところからあざけるような声が聞こえてきた。「****まめー」。・・・・・。その頃の私は、それこそそいつが何を言っているのか、何が言いたいのかもよくわからん、そう、その時の私の抱いた印象は、おそらくもっとも正しいこと、「わけのわからん人」としか思えなかった。それが、小学校に入るにあたって、自分も同じ、わけのわからん人の、わけのわからん攻撃を受けることになるとは・・・!!これはもう、我が家に生まれたものの宿命だったのであろうか。